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今もそうかも知れないが、私の少年時代、小学校中学年ともなれば行動範囲も拡がり、移動手段として自転車が必需品であった。友達の家はもとより、公園、駄菓子屋、
隣町の模型屋、およそ少年たちが出かけるあらゆるところに自転車で行った。当時の光景として、個人宅やそろばん塾の前などに、たくさんの自転車が駐輪されていたことを思い出す。
70年代の少年たちの間では”格好いい自転車”というものは、関心事のひとつであり、誰かが新しい自転車を買ってもらおうものなら、皆で集まってあれこれ評論したものだ。
この、”格好いい自転車”というものは、一般にはジュニアスポーツサイクルと呼ばれていたようで、当時の少年雑誌では、この形式の自転車について、
フレームがどうの、ハンドルがどうの、5段変速、10段変速、はてはディスクブレーキ、ドラムブレーキ搭載等々、色々解説記事もあったように記憶する。
このような自転車は今考えても非常に高価であり、70年代当時で1台2〜3万円、高級なものでは5万円以上もした。しかもこれを買ったうえで、オプションとしてスピードメーターや距離計、荷物を入れるサイドバッグ、
はてはハンドルエンドにヒラヒラしたビニール状のものをつけたり、スポークに短いストロー状のアクセントを装着したりと、少年たちは思い々々に愛車をドレスアップしていた。
自転車メーカーもミヤタ、ツノダ、ナショナル(現パナソニック)、ブリヂズトンなどの各社が、テレビで盛んにCMを流し、趣向を凝らした自転車を次々と発表していた。この自転車の開発は次第にエスカレートし、
ついには、フラッシャーと呼ばれた方向指示器に凝りだした。これは、自転車の後部に搭載されたウィンカーのことで、簡単なものでは、単に曲がる側のランプが点滅するというものであったが、
高級な機種では、電球を多数内蔵し、TV映画「ナイトライダー」のごとく、電球が流れるように点滅するものもあった。
異論はあるかも知れないが、このような自転車の頂点として君臨したのが、ナショナル自転車の「エレクトロボーイZ」であろう。家電メーカーだけにフラッシャーの設計はお手の物。
デザインも洗練されており、さらに憎らしいことには「隠しスイッチ」が装着されていた。これは、自転車駐輪中、誰かがいたずらでフラッシャーを点滅させるのを防止するスイッチで、
このひみつのスイッチさえいれておけば、いくらフラッシャーボタンを押しても電球は点滅しないというものであった。
この機種については、 画家・イラストレーターの七宮賢司氏が実車デッドストックをお持ちで、氏のHP「七宮事務所」に詳しく紹介されている。
このように少年たちを魅了したジュニアスポーツ車であったが、一時大流行したフラッシャーは、その重さと内蔵電池の消耗(単一乾電池6本を必要とした)が難となったのであろう、次第に姿を消していった。
これには、当時、少年キングで連載されていた荘司としお氏の「サイクル野郎」という漫画作品の冒頭で、
フラッシャーが批判的に扱われたことも大きいだろう。
以上、長々とジュニアスポーツサイクルについて述べたが、アオシマからこれらの自転車がスポーツサイクイングカーシリーズとして商品化されたのである。シリーズは全6点。最初に発売されたのは、1971年1月、件のエレクトロボーイZであった。
その後、2か月遅れで発売されたシリーズ第2弾のミヤタ自転車「ヤングウェイ」は、関西模型小売商組合連合会からその年の新分野を開拓したキットに送られる「フロンティア賞」を受賞している。
サイクルシリーズは全6種類が発売され、初版時は梶田達二氏のイラスト、2版時は実車写真、3版時は再びイラストパッケージ(但しデザインは変更)で発売されている。3版以降はここに掲載したのとは別デザインのパッケージもあるようだ。
なお、ジュニアスポーツサイクルはオオタキからアオシマより一回り大きい1/6サイズで3種類のキットが発売されていたことも付記しておく。
※追記 「フロンティア賞」は「ヤングウェイ」単品に与えられたものでなく、一連のスポーツサイクルシリーズに対して授与されたものらしい。2018.3.27